東京高等裁判所 昭和60年(行ケ)4号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実、審決の理由の要点のうち、本願発明の要旨の認定、引用例に審決認定の記載があること、本願発明と引用例のものが審決認定の点で一致し、審決認定の<1>ないし<3>の点で相違することは当事者間に争いがない。
二 そこで、審決取消事由の有無について順次検討する。
1 取消事由(1)について
(一) 本願発明と引用例のものとの間における審決認定の相違点<1>、即ち、本願発明ではトラフの底部の断面がほぼ平らな形状となつているのに対し、引用例のものでは円弧状となつていることは前記のとおり当事者間に争いがない。
(二) そこで、右相違点が技術的に特段の意義を有するものであるか否かについて検討する。
本願発明におけるトラフの断面形状に関する明細書及び図面の記載を見るに、成立に争いのない甲第二ないし第四号証によると、本願明細書(昭和五三年八月二八日付及び同五四年一一月六日付各手続補正書による補正後のもの、以下同じ。)の発明の詳細な説明の項には、(1)「トラフの横断面は直立側壁とともに平坦基部から変化し、基部にたいし垂直にまたはそれと角度をなすかして延長し………」(八頁一〇~一二行)との記載があることが認められ、この記載はトラフの底部の断面が平坦であることを前提とするものである。また、前掲各甲号証によれば本願明細書の発明の詳細な説明の項には(2)「第1図~第3図、第5図~第9図、第11図及び第12図に示す要素の場合には、フランジ及び基部により長さ対深さの比が六より大きいトラフを構成する。」(一五頁五~八行)との記載があり、本願図面中の右(2)に掲記の各図に示された例はいずれもトラフの底部の断面が平坦若しくはほぼ平坦なものであることが認められる(別紙(一)図面参照)。
ところが、本願明細書及び図面にはこのような記載がある反面、前掲各甲号証によれば、本願明細書の発明の詳細な説明の項には前記(1)の記載に次いで、(3)「(トラフの横断面は)………、さらに、たとえば円弧、懸垂線等、曲線状断面のトラフにたいして互いに向けて又は互に離れる方向に傾斜している。」(八頁一二~一三行)及び前記(2)の記載に次いで、(4)「第10図の場合、トラフの断面は、長さ対幅の比が3よりも大きい大体U形状である。」(一五頁八~九行)との記載があり、本願図面第10図にはトラフの底部の断面が円弧ないし懸垂線状のものが記載されている(別紙(一)図面第10図参照)ことが認められる。
そして、本願明細書(前掲甲第二ないし第四号証)を検討しても、トラフの底部の断面をほぼ平らな形状とした目的及びこれに起因する作用効果に関する記載は全く見当らない。従つて、本願明細書からはトラフの底部の断面形状をほぼ平坦とした場合とこれを円弧状又は懸垂線状とした場合との間に実質上の差異を見出すことはできない。
(三) 原告は、成立に争いのない甲第七号証(宣誓供述書)中の写真とこれに関する記載(訳文三頁一一~一九行)から、トラフの底部の断面形状がほぼ平らなものの方が円弧状のものよりも液流分布の広がりが良好であるとの作用効果を奏する旨主張する。そして、右甲号証によると、これには本願発明のダンプ・パツキンに相当するものとしてトラフの底部の断面が平坦でその両縁にフランジを有するダンプ・パツキン(本願図面第2図又は第5図に類似する別紙(三)図面に記載のもの)とトラフの断面が円弧状の引用例第一、二図(別紙(二)図面第一、二図)の記載に相当するものとを、それぞれ金属格子上に水平に置いた場合と約三〇度の角度で傾斜させて置いた場合とについて、それぞれの液流分布の状態を実験によつて対比した結果に関する写真と説明が掲記されており、右写真には液流分布のパターンが両ダンプ・パツキンについて異なつている状況が示されているほか、これに関する説明として、右引用例の液流分布はその二軸曲面の結果として生ずるものであるのに対し、本願図面第2図又は第5図に相当のものの液流分布はフランジの毛管現象の結果として生ずるものであり、引用例のものでは水平方向の広がりは全スパン(ひろがり)の七〇%以下であるのに対し、本願図面第2図又は第5図に相当のものでは右水平方向へのひろがりは一〇〇%近くに達する旨記載されていることが認められる。
しかしながら、前掲甲第二ないし第四号証により認められる本願明細書における「これらパツキン要素はコラム内に規則的な配列を形成するように配置されるかまたはコラム内にランダムに分配されるかもしくは介在状に分配される。」(六頁一~四行)との記載からも明らかなとおり、ダンプ・パツキンは充填塔(コラム)に充填された場合に必ずしも前掲甲第七号証で実験されたような配置状態を呈するものではないこと、前掲甲第七号証の写真及び説明によれば、前述のとおり本願発明のダンプ・パツキンに相当するものにおける液流分布はフランジの毛管現象の結果として生ずるものであるところ、前掲甲第二号証によれば、本願発明のダンプ・パツキンは、多孔金属網で作られる場合もあることが認められ(明細書一三頁四~六行)、このような場合は右の毛管現象は期待できないこと、更に右毛管現象はトラフの底部とフランジとの成す角度等によつて生ずるものであるから、トラフの底部の断面が平坦であるとの要件のみによつて生ずるものではないことを併せ考えると、前掲甲第七号証から、トラフの底部の断面形状がほぼ平らなものの方が円弧状のものよりも液流分布の広がりが常に良好であるとの作用効果を奏するものということはできず、他にトラフの底部が平坦であることから右のような作用効果を認めるべき証拠はない。
(四) 以上のとおりであるから、本願発明においてトラフの底部の断面をほぼ平らな形状にしたことには技術的に特段の意義を認めることができず、引用例のもののようにこれを円弧状にしたこととの間には実質的な差異がないものというべきである。
(五) そうすると、審決が本願の出願当初の明細書にトラフは円弧、懸垂線等の曲線状でもよい旨の記載(前記(3)の記載)があるとの一事を理由として相違点<1>は実質的な相違ではないと判断したことは適切とはいい難いが、その結論は誤りとはいえない。
(六) よつて、取消事由(1)の主張は採用できない。
2 取消事由(2)について
(一) 本願発明と引用例のものとの間における審決認定の相違点<2>、即ち、本願発明ではトラフの長さ対深さの比は六よりも大きいのに対し、引用例のそれは約二・七であることは前記のとおり当事者間に争いがない。
(二) ところで、前掲甲第二号証によると、本願明細書の発明の詳細な説明の項には、この点に関連して、前記(2)の記載があるほか、「なるべく、この種のパツキンでは(トラフの実際の基部に沿う距離ではなく)トラフの二端間の直線距離として画成される各要素におけるトラフの長さはトラフの深さよりも少なくとも六倍長い。」(八頁七~一〇行)との記載があることが認められる。
しかし、本願明細書(前掲甲第二ないし第四号証)を検討しても、トラフの長さと深さとを何故にこのような割合に限定したかについての技術的意義、換言すればこのような割合としたことについての目的や作用効果については何ら記載されていない。
(三) そこで、トラフの構造特にトラフの長さと深さの関係について考えるに、前掲甲第二ないし四号証によると、本願明細書には「これらパツキン要素の強さはトラフの壁またはその他適切なフランジを設けることによつて増強される。」(一〇頁一〇~一一行)、「ダンプ・パツキンの要素に、トラフ壁を構成するフランジまたは、特定要素の基部の一部または全体の延長するトラフの曲率を設けることにより各個パツキン要素の強さ及び剛性を著しく高めることができ、それでダンプ・パツキン床の底部でパツキン要素が破砕されるおそれが少なくなる。さらに、これらフランジとトラフ構造により液体の分配を助けるとともに、リングの間隔に影響を与えて抵圧力降下と大きな容量を付与する。」(一一頁三~九行)との記載があることが認められ、これらの記載によれば、本願発明のダンプ・パツキンのトラフの壁(フランジ)は、トラフに曲率を設けたことなどと相まつてダンプ・パツキンの剛性を高め、液体の分配を助ける等の作用を生ずることのほかにダンプ・パツキンを充填塔(コラム)に充填した場合にダンプ・パツキン同志の間隔を保つ作用を果たすものであることが認められる。そして、トラフの深さを生じさせるトラフの壁(フランジ)は、その高さ(トラフの深さ)いかんによつて、ダンプ・パツキンの基部の強さ(剛性)が左右されるほか、これを充填塔に充填した場合にかさ高性が左右されるものであることは容易に予測できるところである。
そうすると、当業者がこのような点を考慮してトラフの長さとの関連でその深さを決めることには格別の困難性は認められない。
(四) 以上のことからすれば、本願発明においてトラフの長さ対深さの比を六よりも大きくした点は、当業者が必要に応じて適宜なし得ることであると認めるのが相当である。
(五) 原告は、トラフの長さ対深さの比を六より大きくすることにより気液接触性が著しく向上する旨主張し、前掲甲第二ないし第四号証によれば、本願明細書には本願発明のダンプ・パツキンの効果として原告が主張するとおり気液接触が良好であること、圧力降下を抑制すること、強度が高いこと等の記載があることが認められる。
しかし、前掲各甲号証によれば、本願明細書には右の各効果がトラフの長さと深さの比を前記のとおり限定したことによつて生ずる旨の記載はなく、気液接触の向上が生ずる原因に関しては、「対向わん曲弓形区分または対向方向の多角形区分を設けることによりわん曲基部または多角形構造の強さを高めるとともにダンプ・パツキンの気液接触を良好にする。」(一〇頁五~八行)との記載があるに過ぎないことが認められる。そして、他に本願発明においてトラフの長さ対深さの比を六よりも大きくしたことに起因して気液接触が良好となると認めるべき証拠はないから、原告の前記主張は採用できない。
(六) よつて、取消事由(2)の主張も採用できない。
3 取消事由(3)について
(一) 本願発明と引用例のものとの間における審決認定の相違点<3>、即ち、本願発明ではトラフの長さ対幅の比は少なくとも三であるのに対し、引用例のそれは約一・二であることは前記のとおり当事者間に争いがない。
(二) 前掲甲第二号証によると、本願明細書の発明の詳細な説明の項には、右の構成について、「トラフの長さ対幅の比は三よりも大きくし、………」(八頁三~四行)との記載があることが認められるほか、前記認定のとおり(4)の記載がある。
しかし、本願明細書(前掲甲第二ないし第四号証)を検討してもトラフの長さ対幅の比を少なくとも三であるとしたことについての技術的意義、即ちその目的や作用効果については記載がなく、他にこれを認めるべき証拠はない。
そうすると、本願発明においてトラフの長さ対幅の比を少なくとも三とした点には特段の技術的意義はなく、引用例のもののそれ即ち約一・二との間には実質的な差異がないものといわざるを得ない。
(三) そうしてみると、審決が原告の審判請求理由補充書(第二)中の記載のみを理由として相違点<3>は実質的な相違ではないと判断したことは適切ではないが、その結論は誤りとはいえない。
(四) よつて、取消事由(3)の主張も採用できない。
4 取消事由(4)について
原告は、前掲甲第七号証に記載の実験結果から本願発明が引用例のものに比して顕著な効果を奏する旨主張する。
しかし、甲第七号証によつても本願発明のダンプ・パツキンが引用例のものと比較して、液流分布において格別優れた作用効果を奏するということができないことは既に1において述べたとおりである。
また、前掲甲第七号証には、これに記載の比較実験に用いられた各ダンプ・パツキンがいかなる寸法のものであるか、また、各ダンプ・パツキンを充填塔に単位体積当り何個充填したものであるか等充填状態についての記載がない。そして、充填塔内の圧力の損失や物質移動性(流動速度)は、ダンプ・パツキンの大きさや充填状態に影響されるものであることは、成立に争いのない乙第二号証(特に一三二頁二九~三五行及び四九七頁二九~三一行)の記載からも明らかである。
そうすると、右甲第七号証から本願発明のダンプ・パツキンが引用例のものに比して液流分布に優れ、充填塔内の圧力降下をより抑制しかつ物質移動性に優れていると認めることはできず、他にこれを認めるべき証拠はない。
従つて、取消事由(4)の主張も採用できない。
5 以上により、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、審決にはこれを取消すべき違法の点はない。
三 よつて、原告の本訴請求を棄却する。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
複数のパツキン要素からなり、該パツキン要素の各々は少なくとも一つの開口を含む弓形又は多角形の基部と、この基部と一体で上記の開口を橋絡する帯状橋絡区分とを備え、上記の基部は第一の仮想軸線を中心軸線として該第一の仮想軸線のまわりに九十度から二七〇度の範囲にわたつてのびていて、該第一の仮想軸線を含む径方向の平面内で底部がほぼ平らなトラフの形状の断面を有し、上記の橋絡区分は上記の第一の仮想軸線に平行な第二の仮想軸線を中心軸線として該第二の仮想軸線のまわりにのびていて、該基部の彎曲の方向が該橋絡区分の彎曲の向きと反対になつており、上記のトラフの長さ対深さの比は六よりも大きく、かつ(又は)該トラフの長さ対幅の比は少なくとも三であることを特徴とする、気体―液体接触装置に用いるダンプ・パツキン。